3曲で理解する(Blackmore's)Rainbowの歴史

昔のロックを色々と思い出していると、忘れることのできない人物が何名か出てきます。
天才的なギタリスト、リッチー・ブラックモアとロバート・フィリップは私の中で謎の人物2大巨匠として、消し去る訳にはいかない人物です。

前身のバンドで大きな成功を収め、自らの力で再度自らを成功に導こうとした両巨匠ですが、傍から見るとその迷走っぷりは見事です。

ここでは、リッチー・ブラックモアのRainbowでの迷走を3曲で説明します。

中世ヨーロッパ的ハードロックバンド

伝説のハードロックバンド「Deep Purple」解散後、主要メンバーであったリッチー・ブラックモアは(Blackmore's)Rainbowというバンドを結成します。
ロニー・ジェイムス・ディオという典型的なハードロック的ボーカリストを迎えたRainbowは、中世ヨーロッパの騎士をモチーフに「これがRainbowだ!」というロックバンドのスタイルを確立します。
初期のRainbowを代表する曲が「Kill the King」です。

Rainbowは世界的な成功を収めたDeep Purpleとは、一味も二味も異なる新しいテイストのハードロックでした。ロニー・ジェイムス・ディオの歌は退廃的であり、攻撃的であり、甲冑を着た中世の騎士を彷彿させる声質のボーカルでした。

アメリカマーケットを目指したスタイルへの変貌

しかし、この路線があまり受けなかったせいか、リッチー・ブラックモアは迷走を始めます。突如、アメリカンポップロックを目指すのです。
ロニー・ジェイムス・ディオに「こんな曲歌えるか!」と逃げられ、新たに迎えたボーカリストがリーゼントでサングラスのグラハム・ボネットでした。
アメリカに向け、渾身の力を込めて発表したアルバムが「Down to Earth」です。

Rainbowファンにとって、この曲はバットで頭を殴られたほどの衝撃でした。大好きだった退廃的はRainbowが消えてしまったのです。

アイドルを探せ!

アメリカでの受けが今ひとつだったリッチー・ブラックモアは、再度反省します。
「そうか!Rainbowに足りないのはアイドルだ!」
あっさりとグラハム・ボネットをクビにしたリッチー・ブラックモアが次に迎えたボーカルは、アイドル度満点のジョー・リン・ターナーです。

可愛いルックスで日本でも人気が出ましたが、アメリカでは受けませんでした。その後、リッチー・ブラックモアは、おかしな方向に行ってしまったRainbowが嫌になったのか、活動を休止します。

日本では、ロニー・ジェイムス・ディオがボーカルだった初期のRainbowが圧倒的に支持されています。ロニー・ジェイムス・ディオコージー・パウエルグラハム・ボネットなど、その後のハードロックシーンを牽引するアーチストを排出していることからも、注目に値するバンドなのです。

1994年に再結成することになりますが、ここでは割愛します。

上記3曲を聴き比べると、ルックスも音楽性も異なるバンドのようですが、同一のバンドです。
Doobie Brothersのようにリーダーが変わって音楽性が変わったバンドは多々ありますが、メジャーなバンドでここまでスゴイ迷走っぷり見せたバンドを私は他に知りません。

リッチー・ブラックモア万歳!!!

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