困ってるひと/大野更紗

どんなに辛い病気でも頼れるのは自分。どんなに使えなくても使うしかない制度。私達の社会は矛盾にみちている。

自分が筆者と同じ立場に立たされたらどうするだろう?
陳腐だけど、本書を読んだ感想はそれしか思い浮かばなかった。

筆者は、大学院に進学しビルマ難民の研究活動を行なっていたが、ある日突然体調が悪化し、病院を転々とする。
全身が腫れ、触られただけで激痛が走る。どの病院にも相手にしてもらえない。
病院を放浪し、たどり着いた先は、ハーバード大学あがりの自己免疫疾患の専門家の勤務する東京都内の大学附属病院。
本書は、本病院への入院から、退院までの2年間の出来事が、面白おかしく綴られている。

ただし、面白おかしいのは筆者の文体だけで、そこに書かれている内容は、激しい検査と重い病状、日本の医療制度と社会システムの問題だ。
難病認定患者の現実は、非常なものなのだ。

さらに、一般病床に百八十日を超えて入院すると、病院に支払われる報酬が大きく減額される。そのぶんは、病院が患者に自己負担を求めることを、求められている。

現在は、若干の緩和措置が取られているらしいが、入院患者に対する保険点数の加点は、患者の入院期間が短期であればあるほど、病院が受け取る診療報酬が有利になるようになっているらしい。
これは、入院の必要が必要ない患者を病院が意図的に長期化させ、余計な医療費を請求させないための措置と思われる。
比較的に病状の軽い患者にとっては歓迎される措置であるが、長期の入院治療が必要な患者にとってみたら、歓迎されるルールなのかもしれない。
社会ではいつも、多数派が優遇される傾向にあることは、しかたのないことであるが重病患者にとって見れば、迷惑以外何者でもないルールだ。

わたしは、その「測定」にかなり驚いた。ショックだった。メジャーや分度器で、関節が曲がる角度を図る。何メートル歩行できるかを書く。そ、それだけである。病気の詳しい症状や、どのくらい痛いかなど、なんにの書かれなかった。要は手足があるかないか、機能しているか、どれだけである。

これは、障害者手帳の申請をするために専門の認定医師に診察してもらった状況である。どうも、身体障害者福祉法という法律は、戦後に作られたままに放置されているようだ。見た目でどのくらい障害があるのか、という認定は問題ありすぎだ。

当然のことであるが、重病である筆者は、誰かの手助け無しで生きていくのは困難だ。しかし、長期の入院生活で得た結論は、

「救世主」はどこにもいない。ひとを、誰かを救えるひとなど、存在しないんだ。わたしを助けられるのは、わたししかいないのだと、友人をとことん疲弊させてから、大事なものを失ってから、やっと気がついた。

その中で、依存できるものは、

ひとが、最終的に頼れるもの。それは、「社会」の公的な制度しかないんだ。わたしは、「社会」と向き合うしかない。わたし自身が、「社会」と格闘して生存していく術を切り開くしかない。難病女子はその事実にただ愕然とした。

悲しいかな、これが難病患者が得た生きる答えでだ。誰かが何かをしてあげたいと思っても、筆者とって、それは表向きはありがたいことではあるが、一時的な感情であることがわかっているため、持続不可能は善意はありがた迷惑なのだ。

本書の読後感は、清々しくもないし、感動的でもない、悲しくもなし、嬉しくもない、ただただ「生きるということは、かくも辛く大変なことなのか」ということ。わたし達は、どんなに大変な状況に置かれても、必死に生きなければならないのだ。