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単純な脳、複雑な「私」/池谷裕二

なるほどぉ、、、目からウロコの事実ばかり。
本書を読み終わると「もう少し適当に考えて生きよう」と「もっとしっかり考えて行動しよう」というふたつの正反対の思いが生まれてくる。

脳とは人間にとってどんな部位なのかを、筆者の母校で行った特別講義をベースに書籍化された一冊。中高生に講義した「進化しすぎた脳」は脳のメカニズムを中心に語られているが、本書は脳の特性を中心に語られる。
「進化しすぎた脳」は、私にとってはかなりハードルの高い一冊だったが、本書は興味深くスラスラと読み進むことができる。400ページ以上にのぼるとても長い講義だが、飽きることなく最後までついていける。

「脳はとても不思議な臓器(?)だ」というのが本書を読んだ感想。とても精密だけど、相当の怠け者だ。本書を読んで気になったポイントは次の三点。ひとつ目は「脳は勝手に話を作る」ということ、ふたつ目は「脳は意識を先回りして体を動かす」ということ、三つ目は「脳はいつもフラフラしている」ということ。

脳は勝手に話を作る

本書の冒頭に「事実(fact)と真実(truth)は異なる」という説明がある。事実とは、脳が出来事の一部始終を解釈した事柄で、真実とは実際に起きていた事柄である。

わたし達は、一部始終を見たつもりで事柄の全容を理解したつもりになっているが、ところどころ情報が欠落していたり、実際の起きていたことを違った解釈をしていたりする。
わたし達の脳は、欠落している情報を「作話」というメカニズムで勝手に情報を補完する。見ていない事実は自分の都合がいいように脳が事実をつくり上げるのだ。

ネガティブとポジティブという思考回路の差は、抜けている事実をどういう作話で保管するかという差であろう。欠落した箇所に良い情報が埋まるか、悪い情報が埋まるのかの個人差は、経験から生まれる学習の差から発生するようだ。

わたし達が普通に発揮している「直感」は、突然に降って湧いてくるものではなく、人生経験から生まれる学習から発生している。つまり体験の量とその質によって直感も変わるし、作話させる内容も変わる。

極端な話、いつもハッピーな輩は、これからもハッピーでいられる可能性が高いのである。

脳は意識を先回りして体を動かす

わたし達は、自分の意志で自分の体を動かしていると思っているが、実際はそうではない。
普通に考えると脳と体の動作は、(1)動かそうという意志が発生し、(2)脳が体動かす準備をし、(3)脳が体に司令を出し、(4)体が動く、という順で動作する考えている。
しかし、実際は、(1)脳が体動かす準備をし、(2)動かそうという意志が発生し、(3)体が動く、(4)脳が体に司令を出す、という順が正しい。

つまり、脳はわたし達の意識の先回りをして、体を動かしているということだ。

わたし達は、自分の意志と行動結果が一致することが「自由」と感じる要因である。
電源の入っていないマウスを動かし、誰か勝手に動かしているマウスカーソルの動きが一致していれば、わたし達は自分でう誤解していないにもかかわらず、意志の自由を感じることが出来る。しかし、精度の悪いマウスを動かして感じる不自由さは、脳がイメージしているマウスの軌道をマウスカーソルが辿らないからだ。

脳はいつもフラフラしている

どんなにすごいホームランバッターでも、同じ球を毎回ホームランにすることはできない。一般的にこれは調子の善し悪しで片付けられているが、本当の原因は「脳がゆらいでいる」からだ。

わたし達は常に同じ状態で、常に同じ成果の学習や業務こなすことはできない。心電図が常に同じ状態で直線を描くように、脳の出力も同じレベルを保っているような気がするが、実際は常に振幅を繰り返している。
周波数が高い時もあれば、低い時もある。

野球選手の場合、脳の周波数が高い時は、難しいコースでもホームランにすることができる。脳の周波数が低い時は、簡単なコースでも凡打する。

短い周期で振幅する波は、長いスパンでも一定の波を作り出すものだ。本書では触れられていないが、わたし達が普段感じる調子の良さ悪さというのは、長いスパンの周期が生み出すものなのだ。きっとバイオリズムというものもそんなものなのだろう。

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う〜ん、なんか、脳の仕組みというか癖を知ると宗教や哲学ってとても「脳的」っていうか、脳のメカニズムに忠実な気がしてならない。