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社会派ちきりんの世界を歩いて考えよう!/ちきりん

月刊PV150万誇る人気ブロガーちきりん氏の三冊目の書籍。
本書は、20数年にわたる海外旅行で見聞きし、ちきりん氏が自分の頭で考えた海外事情を書籍化したのです。

ちきりん氏が旅行した国々は、一般的な観光地にとどまらず、崩壊前のソ連天安門事件前の中国、戦争終結後のベトナムなど、今では見ることができない風景も含まれています。

私たち日本人が日本国内で常識的に体験することが、海外ではとても贅沢なことであることは、実際にで体験してみなければわかりません。

例えばこんなこと

一方、一般家庭に電気が行き渡っていない場合、宿泊しているホテルを一歩でるとそこは全くの暗闇です。わたしがその暗さに驚いたのは、カンボジアの首都プノンペン、それにケニアの首都ナイロビです。いずれもホテルの中は電気がついていますが、一歩ホテル(もしくは商業圏)の外に出ると文字通り「闇夜」が広がっており、それらの地域はたとえ車で移動していても怖くなるほどの暗さです。

かくいう私も仕方なく「かなり危なそうに見える水」を飲んだことがあります。それはビルマ(現ミャンマー)の「道ばたの水売りのおばあさん」から買った水です。小学生の頃に理科の実験で使ったような「濾過式」のバケツのような装置と、水の入った壺の横に座るおばあさんが、ときおり壺からひしゃくに水を汲んで濾過器にうつします。

夜の照明や、蛇口から止めどなく流れる水は、わたしたち日本人にとっては当たり前すぎて気にもとめない光景です。しかし、これが当たり前でない国が当たり前にあるということは、実際にその場面に遭遇しないと理解はできません。

本書は、生きることとは何なのかが示唆されているエピソードが、多く取り上げられています。

何のために生きるか

アフリカのサファリで、逃げ遅れた子キリンがライオンに食べられるシーンの一節です。大自然の中では生きる意味を考えることすら無意味なのです。

逃げ遅れた自分の子供が食べられているのを、母親キリンが遠くから見守っているのです。ちきりんだけではなく、そこにいたすべてのサファリ客が絶句した表情でで母親キリンを見つめました。
「今日、生きるために、生きています」・・・・・「何のために生きているのか?」と問われたら私はそう答えるでしょう。「人生の意義とは何か?」「私は何ものなのか?」、先進国では、そういった答えのない問いが、哲学として重々しく発せられます。けれどああいう場所にいると、そういう思想自体が無意味です。私が今日、生きている理由は、明日も生きるため以外の何ものでもありません。それが生き物の人生なのです。

本当の貧困はお金がないことではない

1980年代のビルマ(現ミャンマー)は、搭乗者が4人以上でないとタクシーを走らせることができませんでした。理由はガソリンが圧倒的に不足していたためです。

でも本当に貧しくて困った状態というのは、「それがお金の問題ではなくなった時」なんだと気がつきました。そういえば私たちの国が無謀にも日米開戦に突っ込んでいった時、日本は石油の禁輸措置を受け、「お金があっても資源が入らない」状態になっていきました。さらに戦争の後期には食料でさえ「お金の問題ではない状態」でした。
食料がどんなに高くても、資源がどんなに貴重でも「お金で手に入る」のであれば、それは豊かな世界です。

持っていれば裕福なのか?

これもビルマ(現ミャンマー)での話です。地元の金持ちと知り合いちきりん氏は結婚を迫られます。家も車もお金も持っていると言う彼にちきりん氏は一切、豊かさを感じなかったのです。

それでも私は、目の前でその問いを発している「すべてを持っている男性」より自分の方が圧倒的に豊かであることを自覚していました。
「何を持っているか、ということが、これほどまでに豊かさとは無関係なのだ」と気がついた瞬間でした。それに気がついて一瞬、言葉が止まってしまった私の表情を、彼が試すように見つめていました。そしてその表情を見て、私もようやく気がつきました。彼もわかっていたのです。

何かにとらわれるのは無意味

2010年にちきりんは、当時勤めていた会社を退社し、今現在も働いてはいないようです。当時ちきりんのブログでそれを知った私は、「はたして働かなくてどうやって食べていくのだろう?」という疑問を持ちました。(余談ですが、現在わたし自身も、時間当たりで換算すると週の半分以上、働いてはいません)

当時わたしは、働いて収入がないと暮らすことができないという固定概念にとらわれていました。ちきりん氏がどうやって生活費を捻出しているかは不明ですが、金融の世界で長く働いていた経験を活かして、投資を中心に生活費を稼いでいると思われます。

人生における目的は、収入を得て生活することであって、働くということが第一目的ではありません。当時のわたしは、働くことだけが収入を得る唯一の手段だと盲目的に信じていたのです。

私たちが今持っている価値観は、日本の国家と社会が作り出した価値観です。世界地図が縮小し、隣国が近くに迫っている現代では、これらの価値観は、私たちが生き抜くための知恵として、排除しなければならないものも多くあるのではと考えたのでした。