星野リゾートの事件簿/中沢康彦

経営トップは企業理念の布教者。繰り返し理念を語りかけることで、スタッフ自らが理念の解釈を深掘りする。

星野リゾートは軽井沢に拠点を置くリゾート施設運営会者です。和のリゾートホテル「星のや」、和風旅館「界」、リゾートホテル「リゾナーレ」、アルツ磐梯スキー場など、多くのリゾート施設の運営を行っています。

本書は、星野リゾートが運営する各施設で発生した「事件」とその顛末11話が掲載されています。星野リゾートでは、スタッフ内の意見のコンフリクト(衝突)を事件と呼びます。

星野リゾートでは、事件の発生を問題とはとらえません。積極的な対応で解決することがより良い顧客サービスの提供につながると考えます。
発生した事件は、事件が発生した部署のスタッフの積極的な議論で解決されます。星野リゾートでは、年齢や社歴は関係ありません。各スタッフが正しいと思ったことを堂々と発言する文化があります。ドラッカーが言った「誰が言ったかではなく、何を言ったのか」が会社の文化として根付いているのです。

議論の方向性を決めるのは「それは、お客様のためになるのか」ということです。トップダウンで方針を決定すると「お客様目線」と「現場感覚」が失われがちです。現場での事件解決は、顧客満足とスタッフの働きがいを生み出します。

たいへんに素晴らしい運営方法なのですが、経営トップと現場、両者の信頼関係がないと成立しません。経営トップは「会社の方針にあった議論をしているか」、現場は「結論が経営トップに拒否されないか」という不安が常につきまとうものです。
現場に議論を進めてもらうためには、経営トップは現場にまかせきりにせず、適度に関与することが必要です。

この「適度に関与」の度合いが大変に難しいのです。本書内での星野リゾート社長、星野氏の立ち振る舞いは、まさに理想的な「適度に関与」を実践します。
管理職はこの「適度に関与」に悩まされます。どの程度関わればいいのか、どの程度意見を言っていいのか。本書から、星野氏が実践した「適度に関与」をピックアップします。

スタッフが企業理念を会得する

まずは、「自社が何を目指しているのか」という共通のゴールを経営トップとスタッフで共有しなければなりません。
星野リゾートがもつゴールは明確でシンプルです。それは、「顧客満足度の向上」です。どうすればスタッフが与えられた考えでなく、自身の考えとしてゴールを共有するのか。それは、スタッフが自身で考えることです。

こうした”事件”が星野リゾートでは、次々に起きる。そのたびに星野はスタッフの行動を見守り、問いかけ、アドバイスする。決して細かい指示は出さず、スタッフが自ら動き出すのを待つ。その間、星野はスタッフに対して、繰り返し、こう語りかける。
「お客様の満足度を高めよう」

また、スタッフの積極的な議論を呼び込むには、社内に自由な意見を発言できる空気がなければいけません。そのためには経営トップは、自らの影響力が及ばないような配慮が必要です。

星野は、現場では脇役どころか、姿さえほとんど見せない。必要なときに、会議に参加したり、メールを送ったりして、勇気づけるのだ。それでも星野が掲げた「リゾート運営の達人」というビジョンはスタッフの間に浸透し、再生のパワーを生み出している。

企業理念を徹底させる

新規にオープンを控えた旅館で、新たに採用したスタッフの教育が思ったように進まずに、焦燥する支配人に星野氏は次のようなアドバイスをします。

「オープンの日までに、すべてを間に合わせようとする気持ちはわからないではない、しかし大事なのは、長い目で見て本当にお客様が満足するサービスができるかどうかだ」

星野リゾートにとって大切なのは、スタッフ教育をオープンに間に合わせることではなく、顧客満足度の向上です。経営トップがぶれずに、企業理念を徹底させる姿勢は大切です。

こっそり励ます

ある新入社員がお客様への対応をめぐり、上司に意見しました。そのとき星野氏は議論には参加せずに、こっそりと新入社員にメールをします。

星野はすぐにメールを送った。
「負けるな。頑張れ、新人!」
川村は、社長から届いた返信メールに驚いた。メールをアルツ磐梯の全スタッフに送ると決めたとき、送り先に社長が含まれていることを知っていた。だが、新入社員の送ったメールに対して、まさか社長から真っ先に反応があるとは思っていなかった。

ここで大切なのは、メールの返信が新入社員だけであったということです。自身の意見が議論を誘導しないよう配慮しているのです。

高い目標を与える

星野リゾートでは、地球環境の悪影響を与えない施設の運営を進めています。地熱システムを導入している旅館もあります。地熱システムの設計は、社内の技術者が行います。このようなシステムの導入は、環境への配慮が最大の目的ですが、収益性を損なっては意味がありません。
十分でない収益性の設計を持ってきた技術者に星野氏は次のような指示を与えます。

「10年の回収期間を9年にしたところで、本質的に何かを変えたことにはならない。ここは思い切って発送を見直すために、投資を5年で回収する方法を考えてみよう」
星野は、「環境配慮」「経済性」「顧客満足度」を同時に向上させる「一石三鳥」のプランを実現し、投資の回収期間を半分にするように逆提案した。

また、計画が決まったら実施はスタッフに一任します。

星野は計画が決まった後は、すべてを松沢にまかせていた。「WHAT(=何をするか)を決めたら、HOW TO(=どう実現するか)は現場にまかせる。そんな星野リゾートのやり方を実感した」と松沢は振り返る。

あえて高い目標を与える。そして、決まったら一任する。言葉で言うのは簡単ですが、経営トップにとっては、一番難しいことではないでしょうか。

意見を深化させる

議論される意見が経営トップの思うような方向に行かなくても、決して結論を誘導するような発言をしてはいけません。議論が浅いようなら、深くするための気づきを与えて、議論を深化させます。

星野は何より議論をじっくり聞く姿勢を取った。そしてメンバーに対してときどき、「それって本当?」と尋ねたり、「もっと具体的にしてみよう」「では、どうしますか」と促したりした。

とにかく意見を誘導しない、現場にスタッフのアイデアを具現化していく手助けをする。この姿勢がスタッフとの信頼関係を生み出します。

事件の発生を大切にする姿勢

本書の巻末で、星野氏の寄稿があとがきとして掲載されています。この中で星野氏は、自社内の事件発生の対する考えを次のように述べています。

事件が発生するのは、何らかの原因があるからである。そこには、スタッフが気づいていなかった「何か」がある。
その「何か」をつかむために、星野リゾートでは事件をその場限りにしない。事件を通して、しっかり考え抜くことで、新しい発想が生まれ、スタッフが成長する。つまり、事件こそが新しいサクセスストーリーを生むのである。

星野氏は紛れもない「カリスマ経営者」です。しかし、社内ではそのカリスマ性をまったく発揮しません。カリスマ経営者がいる企業は、長期的な目で見ると衰退することを星野氏は知っているからです。
星野氏がこのような経営手法にいたった経緯や参考した図書などは、本書の姉妹書である「星野リゾートの教科書」に掲載されています。本書を読まれる方は併読をオススメします。