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自由訳 般若心経/新井満

最近、とても仏教に心を惹かれています
入信したいという気持ちはまったくありませんが、仏教の考え方を理解したいという気持ちが強くなっています。
数年前にも何冊か「般若心経」の関連本を読んだのですが、あまり心には突き刺さりませんでした。
読んだ本が理論的だったり概念的だったりして、自分に必要な考え方とは思えなかったのです。

現在40代半ばを折り返し、若いときには体験することのない痛い体験にも遭遇することが多くなっています。
そのたびに不安に襲われ、どうしたら良いのかが見えなくなるのです。
心が弱ってくると自分自身の考えに「芯」となる部分がないことがわかってきます。
「芯」がないために、悩んだり、迷ったり、苦しんだりするのです。
もう一度、仏教の勉強をしてみようと、選んだ本が本書です。

「自由訳 般若心経」の作者の新井満氏は「千の風になって」で一躍有名になった作家・クリエイターです。
執筆活動の傍ら、本書の般若心経や十牛図、イマジン(ジョン・レノン)、老子良寛を自由訳と称し新しい解釈で現代語に訳し発表しています。

新井氏の自由訳シリーズは、口述調で書かれ、擬音を多用しています。大変に表現力が豊かで一語一語が「すーっ」と心に入っていきます。

「般若心経」は、仏教の中心的な考え方ですが、大変に難しい概念で理解が困難な教典です。
特に「色即是空」、「空即是色」という概念は今でもよくわかっていません。
ただ、本書からは仏陀の心と教えがが生きた言葉で伝わってくるのです。

空とは

般若心経でまずは理解しなければならないのが「空」の意味です。
観自在菩薩は、「空」意味を尋ねる舍利子に対して次のように答えます

「この世に存在する形のあるものとは、
喩(たと)えて言えば、見なさい、
あの大空に浮かんだ雲のようなものなのだ。
雲は刻々とその姿を変える。そうして、
いつのまにか消えてなくなってしまう。
雲がいつまでも同じ形のまま浮かんでいる
などということがありえないように、
この世に存在する形あるものすべてに、
永遠不変などということはありえないのだ。
すべては固定的でなく、流動的なのだ。
自立的でなく、相互依存的なのだ。
絶対的でなく、相対的なのだ。
今そこにあったとしても、またたくうちに滅び去ってしまう。
そうであるならば、そんなつかのまの存在にあれこれと、
こだわったりおもいなやんだりするのは、
ばかばかしいことだとは思わないかね・・・」

つまり、世の中すべてのモノはつながり支え合っていて、主体はなく、すべてでひとつが構成されているのです。
さらに続けます。

「面白いことに、こうも言えるのだよ。
この世に存在する形のあるものすべてがつかのまであるからこそ、
ついさっきまで存在していたものが滅び去った次の瞬間、
またぞろ様々なものが、
この世に生じてくるのだよ。
あたかもなにもなかったあの青空に、
再び様々な形をした雲が、
湧き出てくるようにね・・・」

私たちがいる場所

そして、舍利子に私たちのいる場所がどこかを問います。
首を横に振る舍利子に観自在菩薩は次のように教えます。

「ではおしえてあげよう。
心の中で思い描いてみなさい。
宇宙全体をくまなく、とうとうと流れつづける、
いのちと巨大な運動体、宇宙大河を・・・。
宇宙大河は、
無数の一滴が寄り集まって成り立っている。
そうであるならば、その中のわずか一滴が欠けたとしても、
宇宙大河はなり立たないことになる。
一滴は、宇宙大河を成し、
宇宙大河は、一滴に依存している」

私たちは大河の流れの中にいて、大河は私たちひとりひとり成り立っています。

私たちが存在する意味

続いて観自在菩薩は私たちが生きる意味を説きます。

「ではおしえてあげよう。
あなたが生まれてこなければならなかった意味とは理由とは何か。
それは、
“役割”をはたすためなのだよ」
「役割・・・」
「そう。自分以外の他者と
人間以外の無数のいのちのために、
何ができるか。
あなたでなければはたせないあなただけの
役割をはたすために、
あなたはこの世に生まれてきた。
そのことを決して忘れてはいけないよ」

色即是空、空即是色

そして、般若心経の真理である「色即是空」の考えについて語ります。

「舍利子よ、
その結果、形あるもの、形なきものも、
この世に存在するものはすべて、
空(くう)であるということになる。
そうであるならば、
生きるということ、
死ぬということも、
その例外ではない。
生も死も、固定的ではなく、
流動的なのだ。自立的ではなく、
相互依存的なのだ。
絶対的でなく、相対的なのだ。
永遠の生などというものは、ない。
永遠の死などというものも、ない。
いのちあるものは必ず滅ぶが、
すぐにまた生じる。
生と死はめまぐるしく変化する。
即ち、生もなければ死もない、
そう考えてよいのだよ」

観自在菩薩は、私たちの存在は「空」あると言い切ります。空とは何もないという意味です。なにも無いものが苦しむこと事態が無意味なのです。

般若心経

そして、観自在菩薩は舍利子に呪文を教えます。それが般若心経です。
「ぎゃあてい、ぎゃあてい、はらぎゃあてい」で知られるこの言葉は次の意味を持つのです。

生まれ変わるぞ
生まれ変わるぞ
もうすぐ、生まれ変わるぞ
おお、生まれ変わった、生まれ変わった
完全に生まれ変わった
ああ、よくぞ生まれ変わってくれた
めでたい
すばらしい
最高だ
ばんざい
ばんざい
ばんざい

私は存在しない

般若心経では、「私は存在しない」と教えます。
私は大きな意思の中の一部であり、周りの支えなしで生きていくことはできません。
この事実を理解できていない状態を「無明」と呼ぶそうです。
無明は欲呼び、執着を生みます。ひとはいつか亡びなくなります。
私たちが空であることを理解できれば、苦しみや悲しみ、欲や執着がなくなるのです。
私にとって悟りの道は遠く険しいようです。
いつまで経っても「無明」から抜け出すことができません。